(説明文に詳細)【速報】オウム真理教、残りの死刑囚、死刑執行!! あの場所は今!?映像はオウム真理教・教団最大拠点「第1上九第2,第3,第5サティアン」跡地・富士ケ嶺公園の現在の様子!

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オウム真理教の一連の事件で死刑が確定している林泰男死刑囚ら2人に死刑が執行されたことが、関係者への取材でわかりました。教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には、今月6日に刑が執行されていて残る6人の刑の執行が焦点になっていました。

オウム真理教は平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など、数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。

平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定しました。

一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。

その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行されました。

ほかの6人は東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていましたが、関係者によりますと、26日、林泰男死刑囚(60)ら2人に死刑が執行されたということです。

林死刑囚とは

林泰男死刑囚(60)は、昭和63年に出家した古参の幹部で、教団の「科学技術省」次官として、施設の電気工事などを行っていました。

平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車の製造に関わりました。13人が死亡、およそ6300人が被害を受けた平成7年の地下鉄サリン事件では、日比谷線にサリンの入った袋をほかの実行犯より1つ多く持ち込み、その車両では8人が死亡するという最も大きな被害が出ました。

林死刑囚は事件のあとも1年半以上、逃亡を続けましたが、平成8年12月に沖縄の石垣島で逮捕されました。

裁判では事件に関わったことを認め、平成20年に死刑が確定しました。

平成27年には逃亡を続けていた元信者の高橋克也受刑者の裁判で、地下鉄サリン事件の当時の状況を証言しました。

林死刑囚は事件の2日前に教団の幹部から実行役を打診された時の心境について、「断ったらやばいと感じた。自分の家族に危険が及ぶかもしれないし、麻原彰晃、本名、松本智津夫元死刑囚に『教団を出たらポアする』と言われていた」と説明しました。

そして、「事件で被害を受けられた皆様におわび申し上げます」と謝罪の言葉を述べました。

林死刑囚は事件後に名字を小池に変えていました。

高橋シズヱさん「事件風化しないよう訴えていく」

地下鉄サリン事件で駅員の夫を亡くし、被害者の会の代表を務めている高橋シズヱさんは「けさも死刑囚のことを考えていたところだったので、突然の執行に胸がドキドキして混乱していますが、相次ぐ死刑の執行で、改めて事件の大きさや重さを実感しています。林死刑囚は高橋克也受刑者の裁判で姿を見た時、落ち着いた様子で死刑を覚悟しているように感じていました。死刑が執行されても被害者や遺族にとっては、事件にケリがつくというものではありません。今後も事件が風化しないよう訴えていきたいです」と話していました。

江川紹子さん「衝撃を受けている」

オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「前回に続いて立て続けに死刑が執行されたことに、驚きとともに、当局の強い意思のようなものを感じる。心理や宗教、テロなどの専門家がオウム事件を分析するなど、執行以外のアプローチが必要ではないかと訴えてきた。オウムのためにまた人の命が奪われ、衝撃を受けている」と話しています。

【日本3大心霊スポット】
世界を震撼させた事件の本拠地で、事故・自殺の多い、富士の樹海 
ギネス記録認定・世界最強クラスの心霊スポット、谷川岳
自殺者の遺体が、海流と逆の方向に集まるという謎の現象が起こる、東尋坊

サティアンとは、オウム真理教の宗教施設の名称である。「真理」の意

オウム真理教の教団拠点があった「富士ケ嶺」(山梨県西八代郡上九一色村、現・南都留郡富士河口湖町)を中心として点在していた。旧上九一色村だけでなく、南都留郡鳴沢村や静岡県富士宮市などにも存在した。1989年から建造が始まり、一部ではそこで共同生活をしている、パソコンを組み立てているという程度には認知されていたが、1995年に一連の教団が起こしたサリン事件で一気に注目を集める。

富士ケ嶺周辺は最盛期ではサティアンやその他倉庫群、プレハブ小屋などが30棟以上点在しており、事実上の拠点であった。特に有名になったのは、第7サティアンでサリンを大量生産するための施設であり、強制捜査の暁には捜査員がものものしい毒ガス対策装備をした姿で施設に入ってゆく場面がマスメディアを通じて繰り返し報道された。

麻原彰晃の逮捕以降、1996年までにサリンプラントがあった第7サティアンを除く全てのサティアンが閉鎖され、取り壊された。また第7サティアンは化学兵器禁止機関の査察対象となったため、1998年12月まで残っていた[4]。「サティアン」の名前はのちに、オウム真理教の経営する店(サティアンショップ)に用いられた。逮捕されるまで、麻原本人は第6サティアンの隠し部屋で生活していた。

オウム撤退後
一連の捜査後には、オウム真理教に興味がある一部の人の観光名所として注目を集めるが、翌1996年にはサティアンの大半は、捜査のため必要であった第7サティアンを残しすべて取り壊される[2]。「跡地には富士ガリバー王国がオープンした」と一般には言われるが、実際はサティアン(第6サティアン)から約3km程離れている。

1997年にオープンしたテーマパークにより、教団撤退後の富士ケ嶺地区のイメージアップが期待されていたとされ、隣接地にはゴルフ場(富士クラシック)やホテルも建設された[2]。しかし、1999年には運営会社のメインバンク、新潟中央銀行が経営破綻になりその煽りを受けたほか、不況や交通アクセスの悪さ、イメージ払拭が出来なかったことなどが重なり、来場者数は伸び悩み、2001年10月28日、閉館となる。

その後2002年にタカギリゾートにより土地が買収され、のちの2004年8月に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』としてオープンしたものの、2005年には営業停止、翌2006年にはアーバンコーポレイションが買収、2007年に既存施設はすべて解体され更地となる。そのアーバンコーポレイションも2008年8月13日に経営破綻し、その後清算するなど、跡地は目まぐるしい運命をたどる。

なお、「第1上九」(第2・第3・第5サティアンがあった一帯を指す)には、自然公園(富士ヶ嶺公園)が整備されており、一角には、信者リンチ殺人の現場となった犠牲者のため、小さな慰霊碑が建っている。

サティアン建築の特徴
通常、宗教団体の施設は既存建物の流用でない限り、それなりの(時として大げさな)装飾がなされていることが多い。しかし、サティアンはそういった装飾を排した、外見上工場としか思えない無機質かつ質素な建築様式であることが大きな特徴である。建物を信者の手で作っていたことも関連していると思われる。

また、教団は「毒ガス攻撃を受けている」と主張しており、外界の空気を遮断するためできるだけ窓を小さくしたり、コスモクリーナーに接続しているパイプを縦横に張り巡らすなど、殺風景な雰囲気をかもし出していた。オウム真理教の子供達は、保護された際、屋外で飛行機の音を聞くと毒ガス攻撃を受けているものとして屋内に逃げ込む者たちが大勢いた。

サティアン内部には居住施設があるものの、教団は子供達にはほぼノータッチで、サティアンで遊ぶ子供が大勢いたが、「毒ガス攻撃を受けている」と主張されてからは、子供たちは屋内で遊ぶことが多かった(その間、親は修行をする)。なお、この居住施設は、大人用と子供用に分けられることが多い。

サティアン一覧
特記が無い限り『オウム真理教大辞典』(東京キララ社編集部編、2003年) p.83-85に基づく。
富士宮市富士山総本部道場
第1サティアン – 富士山総本部道場の隣。サティアンビルとも。1995年1月頃に「電磁波攻撃を受けている」として鉄板で改造された
第4サティアン – 教団「郵政省」と「MAT(マンガ・アニメ・チーム)」が置かれ、教団のビデオやアニメを製作していた。
第一上九第2サティアン – 当初は麻原一家の住居で、後に教団「法皇官房」が置かれ、麻原の愛人(ダーキニー)が住むようになった。またマイクロウェーブ焼却装置「勝利者」が設置され、死体を焼却し隠蔽する為に使用された。 勝利者 – 第2サティアン地下に設置された、オウムの開発したマイクロウェーブ焼却炉。冷蔵庫ぐらいの大きさのマイクロウェーブ発生装置(出力は電子レンジの5~10倍)とドラム缶を組み合わせたものである。死体を隠蔽するために使用され、3日ほど稼働すると遺体は粉になり、残った骨は硝酸で融解するなどしていた。警察が肉5kgで試したところ、数時間で粉となった

第3サティアン – 作業場や物置として使用していた。
第5サティアン – 教団の印刷工場で、教団の印刷物を印刷していた。教団「法務省」も置かれていた。
第二上九第6サティアン – 一階部分が麻原一家の住居。逮捕当時、麻原彰晃が隠し部屋に隠れていた場所。
ヴィクトリー棟 – 第6サティアンに近接。警備担当のサマナが24時間詰めて監視していた。
第三上九第7サティアン – 1993年2月から建造開始。9月からは内部にサリンプラントを建設していたが、サリン製造は果たせなかった[9]。ただしサリンプラントで製造したものではないが、サリン製造の最終工程をサティアン3階で行ったことがあり、このサリンは滝本サリン事件、松本サリン事件に使用された。
クシティガルバ棟(土谷棟) – 化学兵器、爆薬などを製造。
第四上九第8サティアン – マハーポーシャのパソコン組立工場。
第12サティアン – 自動小銃密造工場。
第五上九第9サティアン – 自動小銃密造工場。
第11サティアン – 自動小銃密造工場。
第六上九第10サティアン – 出家信者の子弟の生活の場。自治省系緊急連絡網の配信センターがあり、各拠点に対し「××地方の降水確率は100%です」などと気象予報を装って警察捜査の接近を警報していた(「降水確率」が高いほど捜査が来る可能性が大きい)。
ジーヴァカ棟(CMI棟) – 生物兵器、違法薬物を製造。地下鉄サリン事件で使用されたサリンも製造した。
第七上九倉庫群
富沢町富士清流精舎