#965 罪を呑み込む神のグッドニュース|高原剛一郎

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ラジオ番組「聖書と福音」 http://biblegospel.org
■ラジオ関西:558KHz 毎週日曜日 朝7時45分~8時まで
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■メインメッセンジャー:高原剛一郎
■メッセンジャー:尼川匡志、那須清志、三綿直人、慶相龍

おはようございます。高原剛一郎です。
さて、私の知り合いに毎日、新聞のスポーツ欄を隅から隅まで丹念に読む人がいます。ところが、肝心の一面トップニュースにはあまり目をやらないのですね。どうしてですかと聞くと、いいニュースはスポーツ欄にしかないからだと言うのです。新聞の一面二面三面記事を読むと、読まなきゃよかったと思うような残念なニュースが並んでいます。賄賂をとった、詐欺にあった、切りつけられた、大事故があった、殺された…。本当に読んでいてうんざりする内容が多いですね。ただ、スポーツ欄だけは人間が成し遂げた偉業が書いてある。記録の塗り替えや、逆転劇や、喜びに沸き立つ写真が載っているというのです。人は誰でも、悪いニュースより、良いニュースが聞きたいものですね。そこで、スポーツ欄が読まれるというわけです。

良いニュースは人を喜ばせる
福音は喜ばしい知らせ
ところで聖書の福音の事を英語では、Good News(グッドニュース)と言います。喜ばしいお知らせ、これこそが福音という意味なのです。そこで今日は、この福音をストレートに語っている聖書の箇所をご紹介いたしましょう。
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
実は今読んだ聖句は、ふたつの部分で成り立っています。前半は人間がしでかした悪いニュース、後半は神がして下さった良いニュースです。それを三つのポイントでお話しいたしましょう。
陸に打ち揚げられたクジラ
第一に、人間は神の前に罪を犯したため、死ぬものとなったという悪い知らせです。罪とは、神から離れて生きることです。昨年、海岸にクジラが打ち上げられたというニュースを何本も見た記憶があります。実はクジラは、陸に上がると20分以内に死んでしまうと言われています。しかし、これはちょっと不思議な事なのですね。というのは、クジラは他の陸上生物のように肺呼吸をする哺乳類なのです。ですから、陸に上がっても本来困らないはずなのですね。それなのに水から揚がると20分で死んでしまうのはなぜでしょう。体重が問題なのです。クジラのからだは陸上で生活するにはあまりにも大きすぎ、重すぎるので、自分の体重によって内臓が圧迫されて死んでしまうのです。水の中では浮力が体重を支えてくれます。水圧に耐える筋肉を装備しているので、水の中であるならば自由に生きることができるのです。
いるべきところにいる
クジラにとっては、水中こそは自分のいるべきところなのですね。しかし、この自分のいるところから離れると、10分20分は生きることができても、やがて自らの重みで死に至ってしまうのです。海の中で生きるように作られているものが海から飛び出すというのは、自殺行為に他ならないのです。それと同じように、人間にもいるべきところ、あるべき姿というのがあるのです。それは何でしょう。神との交わりの中にとどまること。このことこそは、人間の生きる世界なのです。この神様との関係を断ち切って生きることを、聖書は罪と語っています。そして、その結果人は100年120年ぐらいまでは生きるかもしれませんが、永久に生きることはできなくなったのです。聖書ははっきりと死の原因について語っています。それは人が命の源である神から離れ去ったことです。
客を尊重するレジ係
しかし、第二のポイントは、神が人のためにして下さったことです。神はご自分のひとり子の神イエスキリストを、人としてこの世界に遣わしてくださったのです。なぜ人となってくださったのでしょう。人であるあなたと寄り添うためです。とある老人施設から、一人のおじいさんが自殺をほのめかして失踪なさったのでした。職員は後から追いかけましたが、高いところばかりに行こう行こうとなさるのですね。陸橋に上ると「この辺がいいか」とおっしゃる。いやもっと別の場所に行きましょうと誘うと、今度はビルの屋上です。「いやもっとほかのところも見てみましょうよ。」そのうち、初めの目的を忘れてしまったおじいさんは散歩しているつもりになり、とあるスーパーマーケットに入ったのです。そして商品をもってレジに行きました。しかし、おじいさんが差し出したのはくしゃくしゃのティッシュだったのです。「これでお釣りを下さい。」と当然のように言うおじいさん。職員は真っ青になったのですね。というのはこの方は他人から間違いを指摘されたりすると、逆上するタイプの方であったからです。しかし、レジの人は言いました。「申し訳ありません。当店ではこのお札は使えなくなっています。」「そうか。このお札ではだめなのか。」そう言って彼はポケットから小銭入れを出して、精算を済ませたというのです。職員はすっかりこのレジ係のファンになりました。おじいさんの言っていることは明らかに間違っています。しかし彼女は、その誤りを頭ごなしに否定するのではなく、あくまでもお客さんとして接することに徹したからです。その言葉の中には、認知に陥った老人ではなく、人格を持つ一人の人間に対する尊敬があったというのです。
キリストは人に近づかれた
キリストはこの世界に来られた時、好んで罪人に語りかけて行かれました。ひとりひとりの人間はみな問題を抱え、過去に傷があり、心のうちにはやましいものがたくさんあったのです。キリストはそのすべてを見抜いておられましたが、それでもなおかつ福音を語っていかれたのでした。たとえ罪によって今はいびつな姿に変わり果てていたとしても、神の作品として造られたということには変わりありません。神に似せて造られた存在として、尊重するまなざしで接していかれたのです。だからこそ、いかなる罪人もイエスキリストの前では、くつろぐことができたのです。
信じて永遠の命を受け入れる
第三にキリストは、あなたの罪を背負って、あなたの代わりに十字架の上で罪の刑罰のすべてを引き受けて下さったのです。先日私はある集会に来られた方から質問を受けたのでした。「どうしてイエスキリストのようにお優しくて、賢くて、聖くて、誠実で、思いやりがあって、あんなにも偉大な方が十字架で死ななければならなかったのですか。」「それは、あなたの罪を赦すためです。」と申し上げた時、彼女は絶句してしまったのです。わたしの罪は、キリストが犠牲にならなければ許されないほど、ひどいものであったということに驚き、またそんな罪人の私のためにキリストが犠牲になって下さったことに感動したからです。あまりにも申し訳ながる彼女に、私は申し上げました。「キリストは十字架に死なれただけでなく、墓に葬られ、死後三日目に復活しました。このことを信じる人は、キリストの償いのゆえに全ての罪許され、永遠の命を持つのですよ。」彼女はその場で、イエスキリストを受け入れたのは、言うまでもありません。キリストを信じ受け入れる者は、キリストの中にある永遠の命を受けることになるのです。どうぞあなたも、このイエスキリストをご自分の救い主として信じ、受け入れて下さい。心からおすすめいたします。

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今日のみことば
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ6:23)